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〔短〕球 春(一)


 *** 本来の春に 思いを馳せて ***


                                  

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 卒業、そして入学の春がやって来た。 

 この春、地元の中学を卒業して隣町の桜道高校に進学する神崎茜は、その日を心待ちにしていた。

 高校生活という新しい世界に足を踏み入れるという不安も多少あるが、同じ中学の松野美里がいっしょというのが心強かった。

 

 校名通り、桜満開の入学式も終え、いよいよ高校生活がスタートした。翌日、新入生たちは校内をあちこち案内され、教室に戻ってからはこれからの学校生活についてのオリエンテーションを受けた。そして、最後に体育館で部活の紹介が行われ、上級生たちがデモンストレーションを繰り広げた。 

 どれも趣向を凝らした演出で、新入生たちはどよめいたり笑い声をあげたり、上級生たちの奮闘に見入った。運動部も文化部もそれぞれ部員数をひとりでも増やすべく、必死のアピール合戦を交わした。しかし、新入生たちにどれほどそれが伝わったかは数日後にならないとわからない。人数が集まらなければ廃部の危機を抱えている部もあった。

 

 肩を並べて歩く帰り道、美里が言った。

「ねえ、茜、部活どれに入るか決めた?」

「ううん、まだよ、今日見ただけではわからないわ」

「あら、そう。私は決めたわ」

「え! どこ?」

「野球部よ、野球部のマネージャー」

 茜は驚いて立ち止まった。

「だって、美里、野球なんて知らないでしょ?」

「ええ、でもね、私、ビビッときたの。これからがんばってルールを覚えるわ」

 呆れたように、再び歩き出しながら茜が言った。

「もしかして、あのピッチャーが目当てだったりして?」

 野球部の紹介の時、壇上で投球を披露した投手のかっこよさに、女生徒たちがため息をついていたのを、茜は思い出した。

「あれ? わかっちゃった? あのユニフォーム姿を毎日見られると思っただけで学校が楽しくなりそうだもの。応援にも熱が入るというものじゃない?」

「美里、マネージャーとチアガールの違いわかってる?」

「わかってるけど、この学校にはチアガール部がないんですもの。だったらマネージャーになるしかないじゃない?」

「まあ、どうぞお好きなように」

「あら、茜もいっしょにやりましょうよ。私ひとりじゃ心細いわ。それに茜は私より野球に詳しいでしょ」

 

 それは確かだった。茜の兄、達也は小学生の頃から地元の少年野球チームに入っていた。その上、父はそのチームのコーチ、母は婦人部の役員として毎日曜、河川敷のグラウンドに通っていた。当然幼い茜も連れていかれることになり、一家総出のグラウンド通いが続いた。

 そんな時はいつも退屈な茜はひとり、土手で花を摘んでは時間をつぶしていた。友だちはみんな家族で遊園地などへ出かけるのに、うちはどうしていつも土手なんだろう……そう思ったものだった。

 そんな茜の気持ちに当然気づいていた両親は、その埋め合わせに、五月の連休や夏休み、お正月は茜の行きたいところへ連れて行ってくれた。この家族旅行のおかげでかろうじて茜の不満は解消された。

 こんな野球一家だったが、兄にすごい素質があって、両親が後押ししているというわけではない。茜を除くみんなが、とにかく野球が好きだったのだ。

 父は、自分も高校まで野球部に籍を置き、就職してからは草野球を続けた。そして、母までもが女としては珍しく筋金入りの野球好きだった。なんと中学入学時にマネージャーを志願して断られたという逸話まであった。もちろん、高校に入ると念願だった野球部マネージャーとなり、そこで父と出会い、結婚した。この環境の中で生まれた兄が野球をしないという方がおかしいだろう。

 でも、茜はそんな家庭だからこそ、自分は野球とは離れたかった。なのに楽しみにしていた高校生活、何でそこにまで野球部が登場してくるのだ! いくら、親友の美里の誘いでも断るしかない。

 

 

 それから一か月――

 茜は野球部の部室の前で、破れたボールの補修をしていた。一針一針、専用の針で丁寧に縫っていく。

 窓やドアを開け放しても、若い男子の体臭と汗臭、埃っぽさにはどうしても耐えられない。いくら掃除をしても無駄なことだとわかり、部室の前が茜の作業場になった。

 目の前の校庭では部員たちが声をあげて練習をしている。時おり金属バットにボールが当たる快音も響いていた。

 



by mirror-lake | 2020-03-28 09:35 | 【短】球 春

ささやかな楽しみで書いている物語。   誰かの心に染みてくれることを願って……

by 鏡湖